夜の海にいこう

やくそく:加工しない

6周年の雑記

佐藤健のことを好きになったのは地上波でやってたるろ剣で、あれはいつだっけと調べたら2013年の今日だった。わたしの恋も6周年を迎えたのかぁと少し感慨深い。

 

たけるが好きたけるが好きって言い散らかしてるから、「たけるのどこが好きなの?」とよく聞かれるけれど、わたしは6年考えてもずっとそのベストアンサーが見つけられずにいる。たけるがひとこと話してるのを見るだけで100個は好きなところを言える。もうなにをしてても、してなくても、ただ存在してくれてるだけで、ネジが一個飛んでるのかなってくらいドバドバ大好きがあふれ出るし、きっとわたしの頭はおかしいんだと思う。

 

たけるのどこが好きか」は話してたら一生が秒で終わってしまうから難しいけど、「たけるのなにが好きか」はなんとなく自分の中で答えがあって、たぶんわたしは、集約すれば「たけるがこれ以上ないベストなタイミングでわたしの人生に現れてくれたこと」にありったけの感謝と好きを捧げたいんだと思う。

 

6年前、わたしは青森に住む高校2年生だった。県内一ダサいと言われる制服を着て、たいして楽しくもない高校に通い、過干渉な母と反抗期の弟が喧嘩をしている家に帰っていた。電車がないから親の車なしではろくに遊びにも行けず、インターネットも親が帰ってくる前と寝たあとにこっそりとしか使えない。そんな窮屈な生活の中、たまたまるろ剣たけるをテレビで観た。もちろんメイちゃんの執事とかルーキーズとかで佐藤健の存在は知っていたけど「ホストみたいな顔だなー」としか思わなかったのに、るろ剣で見たたけるは全然違った。画面を越えてこちら側まで支配するような美しさに圧倒された。見終わった後も、しばらく惚けていたと思う。どんどん気になっていって、好きになって、「わたしたけると結婚するー!」って気づいたら教室で喚いていた。そんなタイミングでちょうど高校を卒業して、上京した。東京に来てからはそれはもう幸せの連続だった。毎日インターネットで佐藤健を検索できること。自分の意思で好きなときに映画館に行けてたけるを観られること。当たり前みたいなことだけど、青森で生活してたわたしにとっては、これ以上ない環境だった。幸運もいくつも重なった。初めてたけるを生で見た『バクマン。』の舞台挨拶では、まさかの最前列だったこと。名義を貸してくれた叔母に今までで1番感謝を伝えた。たまたま原作が好きでキャスト未発表のままエキストラに行った現場にたけるがいたこと。明日地球がなくなっても悔いはないと思った。その次に行ったエキストラでは隣に並べて左腕が触れて、それはなんかもうよくわからない記憶として今も処理しきれてない。ちょうど就活のときも、たけるが朝ドラに出ていたから毎朝なんとか精神を保てた。大学4年間、たけるのおかげで本当に幸せだった。

 

だけどたぶん、大学生になってからたけるに出会ったとして、わたしはここまでたけるのことを好きになっていなかっただろうなとは思う。高校時代の、あの鬱屈したぬるい地獄で、好きなものの中だけに居場所を見つけてそれだけを大事に大事にしてた中でたけるに出会えたから、わたしはあれだけたけるのことを好きになったのだろうし、上京してからの環境の変化といくつもの幸運があったからこそ、ここまでずっと毎日好きを更新していられるんだと思う。わたしがたけるを好きな気持ちは、タイミングと幸運のおかげで成り立っていて、だから、だからこそ、わたしが1番必要としてたときにわたしの人生に現れてくれたたけるが大好きだし、幸運を注がせてくれる場を作ってくれるたけるが大大大好き。こんな一瞬一瞬愛おしいなって思える存在でいてくれて、そう思える頭にしてくれて本当にありがとう!って感謝してもしたりない。頭おかしくて幸せ!

 

わたしの人生に生きててくれてありがとうってずーーーっと思ってるよ。本当にありがとう大好きだよたける